2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年
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☆協会の成り立ち☆
今まで原因不明とされてきた慢性的な鞭打ち症。その原因の一つを篠永正道医師(平塚共済病院 脳神経外科部長)が明らかにしました。篠永医師が明らかにした「何らかの衝撃で髄液が漏れる」「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」を全国に普及するため、日本では非常に珍しい医師と患者の組み合わせによる、「NPO法人 脳脊髄液減少症患者・家族支援協会(旧名・鞭打ち症患者支援協会)(以下協会)」が、2002年5月15日に設立されました。
今まで「何らかの衝撃で髄液が漏れる」ことは、医学会・医療界において非常識とされてきました。しかし2000年、篠永医師は「何らかの衝撃で髄液が漏れる」という事実を発見しました。篠永医師の地道で粘り強い姿勢が、この発見を生んだのです。この事実の発見を確信に変えるため、篠永医師は丁寧に慎重に検査を重ねました。その結果、慢性的な鞭打ち症で悩む患者さん100名中80名に髄液の漏れが確認されたのです!
この100名近い難治性のむち打ち症の患者を篠永医師に紹介したのが中井宏だったのです。
2002年 協会代表理事である中井宏が、篠永医師や協会員の協力で、「低髄液圧症候群」の入門書ともいうべき『日本医療企画(株) 「むちうち症」はこれで治る!(以下「本」)』を出版しました。 その後、TV朝日のニュースステーションで、この病気と協会の運動が取り上げられました。この番組をきっかけに、新聞や雑誌の宣伝効果により、「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」と協会の名は一躍全国区となりました。
2003年2月には、「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)研究会」が篠永医師を中心とし、30名の医師により発足しました。そしてようやく、協会の活動が世間から注目されるようになりました。世界頭痛学会(イタリア、ローマ)[2003年9月]において「低髄液圧症候群」とNPOが紹介され大反響でした。欧米の医師は驚愕し、発表した日本人医師は質問責めにあいました。
2002年5月に協会が設立されてから2年9ヶ月が経ち、いよいよ「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」が世界的な社会問題として認められるようになってきています。
篠永医師は、慢性疲労症候群第九回総会(2003年2月)にて、シンポジウムで講演。同5月、第24回日本脳神経外科コングレス総会においても講演されました。2つの権威ある学会において、「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」の臨床が講演されました。ここ数十年、鞭打ち症の根本原因と治療が世界でも発見されなかった中、NPOが主体となり、日本発信という形で世界のヒノキ舞台で発表されました。これは、NPOの活動の社会貢献として、これ以上のものはないのではないかと考えております。
今まで非常識とされてきた常識の発見により、「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」の人を日本だけではなく世界で救済する足がかりをつくりました。種を植えました。
これは当協会が市民生活に根ざしたNPOとしての活動をしている証だと思います。
現在、NPO(協会)には16名の医師が参加しています。
ニュースステーション放送当時の2002年5月30日まで、この病気の患者総数は80名足らずでした。しかし現在(2010年1月1日)では約9,000名になっています。しかも7割近い方が、ブラッドパッチ療法で改善もしくは完治されています。
協会は、長年原因不明で悩む多くの鞭打ち症患者の方々(推定20万人)に希望と勇気を与えてきました。いままで病状の改善が期待されず、場合によっては症状が悪化し、精神的な疾患が原因と診断され、途方に暮れていた方も多いはずです。
10年かかるとされていた「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」の全国知名度普及を3年でほぼ成し遂げました。このことは、絶望から希望への勇気の根源となる意義ある活動だと考えています。
☆病院の拡充☆
「何らかの衝撃で髄液が漏れる」という事実を認識した、患者さん受け入れ病院は、協会発足後「わずか3件」でした。しかしメディアや雑誌その他の影響で、現在、多くの大学病院をはじめ(NPO公式確認/非公式含めると)70件にまで増えています。TV朝日での放送後、協会の電話は鳴りっぱなし! 直後に出た「本」に掲載された患者さんの体験談も大変に反響がありました。数多くの患者さんは、地域の病院に「本」の内容を一生懸命訴え続けてくださいました。そして検査してみようという病院も少しずつ出始めました。また協会が患者さん紹介を調整する方向で、受け入れ病院が増えていきました。
病院側も検査を数名実施した結果、初めて「何らかの衝撃で髄液が漏れる」という事実を確認しました。月1名から週1名へと診察数が増えていきました。この受け入れ病院の各医師は、2003年9月に発売された『日本医療企画㈱ 「低髄液圧症候群」の決定的治療法』に寄稿してくださっています。これは医師計17名(大学病院放射線科教授など著名な方がた)の共著本です。2005年に低髄液圧症候群という名前から脳脊髄液減少症という病名に統一見解を出したために本が改定され題名も変わりました
『あなたの「むち打ち症」は治ります!』
また各医師が医学誌に論文を発表する段階です。2003年8月に麻酔科の医学誌に「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」の正式論文が掲載されました。
2004年9月、脳神経外科領域では世界でもっとも権威のあるアメリカの医学誌JOURNAL of NEUROSURGERY 9(SEPTEMBER)に論文が掲載されたのをはじめ多くの論文が通っています。詳細は「医療従事者ページ」をお読みください
最後になりましたが、協会の活動が認められた1つの出来事がありました。
朝日新聞大阪本社主催の2003年度「朝日社会福祉賞」にノミネートされました。
☆(追加文2005/2/5)☆
2003年12月に千葉で始まった署名活動は全国に飛び火していき、署名されている都道府県は2005年2月現在、17都道府県におよんでいます。2004年12月には念願であった全国規模で行われた署名が10万人を超え、厚生労働省に提出することができました。そのニュースは全国に流され当協会の認知度がさらにあがっていきました。
☆(追加分2006/1/1)☆
2005年度はまさしく脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の爆発的認知アップの年でありました。
交通事故後による衝撃と髄液漏れが「因果関係があると」福岡行橋地裁が全国で始めて判決をだし、更には、三重津地裁にて医学的論争を得て裁判官が「因果関係はあるとの前提で和解を勧告し、加害者側が650万円の支払いに応じた。加害者側が訴訟を経て賠償に応じたのが明らかになるのは今回が初めて」となりました。その結果を支えてきたのが、2003年12月千葉から始まった各地の署名運動でありました。2006年度3月末には(東京・大阪をはじめ20都府県において脳脊髄液減少症の保険適用研究推進の意見書が採択されてました。)法曹界では交通事故後に髄液は漏れるという判断をくだしました。さあ大きな一歩です
2006年は更なる一歩を踏み出しましょう。 中井
☆(追加分2006/4/1)☆
皆さん既にご存知のように
3月8日参議院議員予算委員会にて渡辺孝男議員が脳脊髄液減少症について質問をされました。
3人の大臣の答弁があり翌日の新聞にはトップ記事でそのことが報じされました。
左メニューの「行政との協力」をクリックしていただき国会議事録をクリックくだされば詳細がご覧になれます。また大きな一歩が踏まれました。
(2006/11/8追加分)
2006年度各都道府県9月議会が終了した時点で脳脊髄液減少症の治療と研究を要望する
意見書が42都道府県となりました。 また10月20日京都国際会館 にて第65回 脳神経外科学会総会が開催されましたそこで学術シンポジウム「脳脊髄液減少症の現状と問題点解明に向けて」が開催され以下の方々の発表がありました。 暫定ですが脳脊髄液減少症研究会からガイドライン要綱が発表されました。
内容は 近日中に脳脊髄液減少症研究会から発表があると思います。
さらにシンポジウム開催後 橋本会長 嘉山学術委員長より記者会見があり1年以内に「学会間の垣根を払いガイドラインを作らなければならない」と述べ整形外科、脊髄頭痛などにかかわる学会にこれからはたらきかけると意欲をみせられました。(毎日新聞10月21日朝刊より)
大いに期待したいと考えます。
そして時同じくしてしばらくの間 脳脊髄液減少症の教科書的な役割を期待されているむち打ち症はこれで治るが90%内容を一新し新刊改定版としてついに発刊されました。
協会が発足して4年その集大成が軌跡が書かれているほか、現状でいかにして自賠責後遺障害を認定するのがいいのか 専門の方に原稿をよせていただいております。
前回と同じく総監収には篠永医師にお願いし 協力著者には 5名の医師にお願いしました。内容が良いだけに多くの方に読んでいただければと思います。
(2006/11/18追加分)
大きな大きな一日となりました
11月17日 早朝から東京駅南口の片隅で集まった署名を集計し束ねる作業をしました 熱い思い(重い)のこもった署名はボストンバックに詰められ我々は文部科学省に向かいました この日の為に遠路はるばる九州より空路こられた御母さんも、関西からも夜行列車に乗ってこられたお母さんもいました。
母親というのはかくも強いものなのか。集まった署名数は一月あまりという期間にもかかわらず19100人 東北から関東から北海道から全国からあつめられました。
そして時同じくしてしばらくの間 脳脊髄液減少症の教科書的な役割を期待されているむち打ち症はこれで治るが90%内容を一新し新刊改定版としてついに発刊されました。
協会が発足して4年その集大成が軌跡が書かれているほか、現状でいかにして自賠責後遺障害を認定するのがいいのか 専門の方に原稿をよせていただいております。
前回と同じく総監収には篠永医師にお願いし 協力著者には 5名の医師にお願いしました。内容が良いだけに多くの方に読んでいただければと思います。
(2006/11/18追加分)
大きな大きな一日となりました
11月17日 早朝から東京駅南口の片隅で集まった署名を集計し束ねる作業をしました 熱い思い(重い)のこもった署名はボストンバックに詰められ我々は文部科学省に向かいました この日の為に遠路はるばる九州より空路こられた御母さんも、関西からも夜行列車に乗ってこられたお母さんもいました。
母親というのはかくも強いものなのか。集まった署名数は一月あまりという期間にもかかわらず19100人 東北から関東から北海道から全国からあつめられました。
異例の約50分という池坊副大臣との懇談
お一人お一人とじっくりお話される振る舞いには感動をおぼえました。そして
具体的な行動を示してくださり、今日18日新聞上で発表がありました。
「脳脊髄液減少症の存在について学校現場に広く周知することを決めてくださり 発症が疑われる児童・生徒には医療機関の受診を指導させる方針も打ち立ててくださった」
国が初めて具体的に取り組みを明らかにしたのであります。
(2007/4/1追加分)
ブルーベルト運動が46都道府県目に達した3月18日 2007年度厚生労働省の科学研究費への期待が高まりました、いままでブルーベルト運動(署名運動)にたずさわってくださった皆様は延べ人数でいえば数え切れないくらい多くの方が参加協力くださっているはずです。その真心が国に通じるか、私は3月31日まで全国をまわり訴えつづけました。 そして愛媛からの帰り関西空港にて山形大学脳外科嘉山教授が申請されました(脳神経外科学術委員長)「脳脊髄液減少症に関する治療・診断法の確立に関する研究」が採択されました。と連絡がはいりました。今後「脳脊髄液減少症の診断に関する実態の調査」「診断基準の作成」「治療法の検討」「脳脊髄液減少症になる原因の検討」がなされることになります。
病態解明 保険適用に一歩前進したといえると思います大きな節目の一日となりました。
嘉山教授は「髄液漏れは診断基準が定まっていないため、過剰診断や診断漏れがあると思う。しっかりした診断基準を作りたい。むち打ちで長年苦しんでいる患者たちの病態究明にもつなげたい」と話している。
国が初めて予算を脳脊髄液減少症対策に交付されることとなったのです。
多くの方々に御礼を申しあげたいと思います。
(2008/2/10追加分)
2007年4月に脳脊髄液減少症に予算が計上され、事実上研究はスタートし順調に行くかと思われました。患者であります、我々も大いに期待をもちました。しかしその期待は裏切られ、未だ本格的な臨床研究は始まっていないようであります(この時点2008年2月10日現在)
どうして始まらないのか? その反面地方行政は最後の県となっていた群馬県が2007年12月19日に議会で脳脊髄液減少症の治療推進を求める意見書を採択させ、遂に47都道府県揃い踏みとなり、
あとは国の政治判断へと焦点は移ったと言えます。地方行政は更に脳脊髄液減少症の治療を行う医療機関を調査し公式ホームページで公開をはじめました。 イエローベルト運の始まりです新潟県より発祥し現在の宮崎・宮城・栃木・佐賀・千葉・島根・大分・岩手・鳥取・埼玉・福島・長野・山形・鹿児島・福岡・和歌山・茨城・三重・神奈川・静岡・京都・秋田・愛知・福井・青森・兵庫・山梨・熊本・長崎・石川・岐阜・滋賀・群馬・岡山・徳島・高知・富山・沖縄県・山口・奈良・広島・愛媛・北海道・香川県・大阪府と46道府県までその流れが続いています。この流れは自然な流れであります、今後もこの流れは続くでしょう。研究の成果が3年を見込んでいるのに対し一年目から研究がスタートが切られない情況で、その原因の本質をするどく見抜き、署名運動へと展開していったのが第四回全国署名であります。いよいよその提出の日が迫っております。
(2008/9/18追加分)
全国で展開された第四回全国署名は関係団体の分も合わせ目標の50万に対し 40万の署名があつまりました。 そして同年2月27日に厚生労働省舛添大臣に提出しました。
次第に「脳脊髄液減少症」を認める医師が増え始め多くの論文が報告されるようになってきました。 署名提出以前までは確かに反対派の医師による徹底的な反対運動にも影響を受け 司法の場では交通事故との因果関係を認められるケースは少なかったと言えます。
しかし どうあれそういった交通事故と脳脊髄液減少症の因果関係を視野にいれて診察が必要であろうという報告(論文)が増えてきた影響でしょうか
遂に8月19日東京高等裁判所において「脳脊髄液減少症」という病名で事故との因果関係を認める司法判断が出たのであります。 この判断において脳脊髄液減少症の運動は新たな局面に来たといえると思います。さあ 登山で言えば8合目 烈風吹き荒れる中 前進しましょう。
平成23年10月
脳脊髄液減少症診断基準発表 第70回脳神経外科学会総会 横浜
更に世界が動く 国際頭痛学会の診断基準 次回更新時 改定へ
平成15年6月12日
平成17年2月5日改定
平成18年1月1日改定
平成18年4月1日改定
平成18年11月8日改定
平成19年4月1日改定
平成20年2月10日改定
平成20年9月18日改定
平成24年1月文章追記
全国署名102851名分が2004年12月22日午後4時、厚生労働省副大臣室にて「脳脊髄液減少症患者会世話人 川野小夜子様」より西厚生労働副大臣に手渡されました。4名の国会議員、3名の県会議員、協会役員、医師3名が出席しました。
午前8時15分 副大臣室にて署名 19100人分を池坊文部科学副大臣に提出しました
懇談は50分に及んだ
参加者 脳脊髄液減少症患者支援の会(川野小夜子代表)
長谷川さん
脳脊髄液減少症子供支援チーム代表 鈴木裕子
轟さん 岡野さん
NPO脳脊髄液減少症患者・家族支援協会(旧名・鞭打ち症患者支援協会) 中井
池坊副大臣は「学校や教員が病気の知識を持ち的確な対応が取れるよう、周知徹底したい」と述べました
平成19年2月16日(金) |
8:45~8:54 |
衆議院議員食堂 |
冬柴鐵三 |
(問) | 昨日、大臣のところにブラッドパッチの自賠責適用を求める要望書が届きました。大臣はその際に、学会の指針を踏まえた上で検討したいというお考えを示されましたけれども、これについて現在のご所見等伺えますでしょうか。 |
(答) | 脳神経外科学会に約1年間かけて発症機序や因果関係などについて一つの見解を求める、膨大な臨床例等も集めてやっていただくことになると思いますけれども、厚生労働省の健康保険の適用や我が方の自賠責保険の支払い項目に入れるかどうかということは、学説上ある程度コンセンサスができた段階まではやむを得ないのかなと私は感じています。ただ、それと並行して、昨日も付いてこられた脳神経外科の先生もいらっしゃいましたけれども、先生方が独自で研究したいという場合に資金が相当かかるというお話ですので、私としてはですが、何か応えてあげたいと。1年と言っているけれども、それを加速するような措置も講じてあげたいなという感じがしまして、損保協会に対して、所管の部署を通じて、研究費の支出をしていただけないかということを昨日働きかけたところでして、そのような方向でなんとか応えたいと思っています。 |
今日15日午後5時半 東京 国土交通省 大臣室にて 総計72403名分の自賠責保険に脳脊髄液減少症を求める署名を冬柴国土交通大臣に提出しました。
会見は約20分にわたり まず 世話人である北海道のAさんに変わり 代表の中井が署名を提出 その後 冬柴大臣は国際医療福祉大学付属熱海病院 篠永教授と懇談 多岐にわたり意見を交換されました。
また NPOのメンバー 関西関東の患者会のメンバー
漫画家 まつもと泉先生 協会所属の弁護士の先生なども出席くださりました。
その後 多くのメデアが参加され記者会見が行われました TV取材もおこなわれました
本日午後2時 厚生労働大臣 舛添厚生労働大臣に 署名簿
347500名簿を 脳脊髄液減少症患者支援の会 川野事務局長
脳脊髄液減少症子ども支援チームの鈴木代表より 手渡されました
署名提出できたのも 署名活動に協力してくださった全国皆様のおかげでございます。
また全国の患者会の皆様のおかげでございます
関係者一同心より御礼申し上げるとともに、国会中で超多忙の合間を我々のために時間を作ってくださった舛添大臣 同席いただいた各国会議員の皆様 地方議員の皆様には心より御礼申しあげます。
また当日 遠方よりおいでくださった患者会代表世話人の皆様
体調悪い中も参加くださった 皆様 本当にありがとうございました.
大臣は「公務中に2度衝突事故にあっていて皆様の気持ちはよくわかります。 この脳脊髄液減少症のこともよくわかっています。 具体的に何ができるか 事務方と検討を進め頑張ってやります」とお話くださりました。
多くのメデアが参加され記者会見が行われました TV取材もおこなわれました
文部科学省 副大臣室 池坊副大臣と会見
篠永教授 子ども支援チーム 鈴木さま
脳脊髄液減少症患者支援の会の川野小夜子さんと同会子ども支援チームの鈴木裕子代表等が、労災保険認定基準の見直しを求める要望を副大臣に提出した。
この中で、川野さんと鈴木代表らは、労災保険の認定について、事故との因果関係が確認された場合、どのよ うな病名でも救済措置が取られるが、同症では認定されない点に言及。そして、今年7月に交通事故と脳脊髄液漏れの因果関係を認めた東京高裁判決を紹介し、 「認定基準の見直しが急務」と強調し、改善を求めた。
渡辺副大臣は、要望に理解を示し、できる限りの対応を講じる考えを伝えた。
国交省で「脳脊髄液減少症患者支援の会」の川野小夜子事務局が谷垣禎一国交相にあてた同症の治療法(ブラッドパッチ療法)を、自動車損害賠償責任(自賠責)保険に適用するよう求める要望書を谷口和史・国土交通大臣政務官受に手渡しました。
今年7月、東京高裁で同症と交通事故の因果関係を認めた判決が出たことを紹介し、「交通事故によるブラッドパッチ療法の自賠責保険適用を」と訴えた。
谷口政務官は患者や家族の苦しい生活に理解を示し、「谷垣国交相にも伝え、しっかり頑張る」と述べた。
渡辺副大臣も 途中から同席してくださった。
本日 午後3時半 国会にて渡辺孝男厚生労働省副大臣に舛添大臣宛の要望書を提出しました。
本日3月25日 厚生労働副大臣室 にて 渡辺副大臣に
脳脊髄液減少症の要望書を提出しました。
活発な意見交換が時間オーバーとなる1時間懇談をさせていただきました。
川野 脳脊髄液減少症患者支援の会事務局
脳脊髄液減少症患者支援の会 子ども支援チーム 鈴木代表
NPOからは 中井 松本などが参加しました。
2月1日月曜日 厚生労働省申し入れ
長妻大臣宛 要望書 上田健康局長に提出
子ども支援チーム代表 鈴木
厚生労働大臣 長妻 昭 様
脳脊髄液減少症は、交通事故やスポーツ外傷等、身体への強い衝撃により、脳脊髄液が漏れ、減少することによって引き起こされ、頭痛、めまい、耳鳴り等、多種多様な症状が現れるのが特徴です。しかし、その治療法であるブラッドパッチ療法については、いまだ保険適用されないため、治療を実施している病院も少なく、高額な治療費負担により、患者さんは大変厳しい環境の中におかれています。
実は、2006年、渡辺孝男参議院議員(現公明党脳脊髄液減少症ワーキングチーム座長)の予算委員会にての質問により、脳脊髄液減少症の診断基準を定めるための研究班(主任研究者・山形大の嘉山教授)が発足しました。
地方におきましては、47都道府県120市町村で意見書(脳脊髄液減少症の研究とブラッドパッチ治療の保険適応を求める意見書)が採択され、更に現在、 36府県の公式HPで、脳脊髄液減少症の治療可能病院が公開されるまでになりました。そして、2007年には、文部科学省から各都道府県の教育関係機関に[学校におけるスポーツ外傷などの後遺症への適切な対応について]の事務連絡が出されました。
そして、2007年度から開始された研究班による「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」事業(3年間)は、本年度が3年目となり、予定では、国における診断基準を示すための基礎データがまとまる時期かと思います。しかし、研究班による研究事業は症例数において、当初目標の半数にも及ばず、現在、期間延長を求める動きも見えてきています。患者並びに家族にとっては、この3年間をさらに延長して研究事業が進められることは、堪え難いものであります。治療費が高く、払えない人や周りの無理解の故に、自殺という不幸な道を選んでしまうケースも増えています。一日千秋の思いで、待っていた3年間という期間を延長することなく、当初の目標通り、この3月に研究成果の公表を行い、診断基準が定められることを強く望むものであります。
そこで、長妻厚生労働大臣に対しまして、以下の項目を要望いたします。
記
1. 「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」事業においては、今年度中に当初目標(3年間)を達成し、脳脊髄液減少症の診断基準をすみやかに定めていただきたい。
2. 「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」事業においては、次年度中に診療指針(ガイドライン)を策定し、ブラッドパッチ療法(自家血硬膜外注入)を、脳脊髄液減少症の治療法として認めていただきたい。
3. 「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」事業における研究成果を公表し、広く国民に周知し、脳脊髄液減少症の普及啓発の推進を図っていただきたい。
2010年2月1日
脳脊髄液減少症患者支援の会
代表 大平 千秋
脳脊髄液減少症・子ども支援チーム
代表 鈴木裕子
脳脊髄液減少症研究会(篠永会長・美馬事務局長)
が山野井厚生労働政務官に要望書提出
2月26日
(記者)
脳脊髄液減少症について、厚生労働省の研究班が3年経っても結果が出ずに延長という見通しになっておりますが、大臣はこの対応についてどのように考えていらっしゃいますでしょうか。
(大臣)
まだまだ、研究で今年度終了になると思いますが、これについてもまだまだ治療法もブラッドパッチとかいろいろな考え方がありますが、その部分について研究する余地もあると考えております。今、検査についても保険適用をしている地域と、そうではない地域のばらつきもあると聞いておりますので、まずそこについては現状把握をして、我々も出来るところから体制整備をして行きたいと思います。例えば、治療方法のブラッドパッチということについてはそういうことも積み上げて、次の診療報酬改定で検討して行きたいと思っております。
(記者)
では2年後ということになりますが、それまでの間、検査だけでも自費の部分を保険適用にするということはお考えにありますでしょうか。
(大臣)
先ほど申し上げましたように、検査についても地域によっては保険適用しているところもあり、ばらつきがあるという現状がありますのでよく現状を把握したいと思います。同じような方が片方の地域では検査で保険が適用されて、こちら側はないということは平等性を欠くと思いますので、そういうことなのか、あるいは症状が違うからそういう差が出ているのかも含めて、そういう差がないように努めて行くことが必要だと思います。
12月20日 厚生労働省 1階 4-5会議室にて
251515筆の署名簿を提出
北海道-九州 患者家族関係者 全国60名を超える方が参加くださりました
本当にありがとうございました
尚 提出後 皆様無事にご自宅に帰宅され 無事故で大成功にて終了しました。
協会スタッフ一同
御礼
寒冷の候、皆様におかれましては、益々ご清栄のことと存じます。
本年3月より、皆様の真心の活動により進めてまいりました、「脳脊髄液減少の治療(ブラッドパッチ)の保険適用を求める要望書」を、署名簿(25万1,515筆)を添えて、12月20日(月)、厚生労働省にて、大臣官房審議官に無事、提出することができました。
署名簿提出にあたり、患者支援の会、子ども支援チーム、議員の方々等、全国より総勢50名を超える皆様が参加して下さいました。9ヶ月にわたる署名活動 に携わって下さった全国の患者の皆様方、そして支援して下さった皆様方に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
これからも、脳脊髄液減少症の治療(ブラッドパッチ)の保険適用の早期実現を目指し、さらに頑張ってまいりたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
向寒の折、御身体、呉れ呉れも御大切に。
2010年12月吉日
脳脊髄液減少症患者支援の会
代表 大平千秋
事務局 川野小夜子
脳脊髄液減少症・子ども支援チーム
代表 鈴木裕子